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平成への感謝と令和への誓い
いよいよ元号が変わる。
31年前のことは、うっすらと覚えている。
小学校の低学年だった。
昭和天皇が崩御される少し前、新聞に病状が書かれていて、その時に初めて下血という言葉も知った。ただ、だからと言って、何をするわけでもなく、事の重大さを理解できず、年が明けた昭和64年1月7日、昭和天皇は御隠れになられた。
当時、よく覚えているのは、「昭和六十四年」に発行された貨幣は珍しく、それを探すくらいのことしか考えていなかったので、甚だ不謹慎だったかもしれないが、子供の考えそうなのはその程度でしかない。一般的な家庭と同じように、私の両親もそのことについて取り合分け子どもたちへ何かを伝えることはなかった。戦争経験のある祖父は、自分史の中で、昭和天皇の玉音放送に触れていたが、ザーザーと雑音が五月蠅くて何も聞こえじ。。。と記されていた。
それから30年。私もおかげさまで大学まで出させてもらい、海外へも留学でき、たくさんの人にも会うことができた。海外へ出ると、日本国の素晴らしさをいつも気づかされる。もちろんがっかりするところもあるが、それを差し引いても、海外での日本国、日本人に対する評価というか、印象は、私の知る限り、どれも突出していると言っていい。皇室に対する敬意も、外国人からの方が重く感じることがあるほどだ。
「象徴として」というお言葉を常に口にされていたが、まさにそういう存在であられようとしていたことが、今の日本の、海外からの印象に繋がっていることは間違いない。他国と比べて優れているということではなく、日本の在り方として存在する姿を否定する人などいないだろう。
一度でもお目にかかれないかと、ずっと願っていた。先日、伊勢神宮へ参られたときがチャンスと思い、何とか仕事の都合をつけて名古屋駅へ駆けつけたが、あまりの人気ぶりにお姿を拝見することはかなわなかった。残念ではあったが、仕方のないことだ。一瞬でも同じ空間におられただけでも幸せだった。
しかし、だ。
こんな奇跡があるのか。
平成31年4月19日14時50分 東京駅
関東方面での出張を終え、名古屋へ帰ろうとした、その時。
思わず、お疲れ様でした、と叫んだ。
手は震え、なぜだか涙があふれた。
なんという穏やかな空気なのだろう。
この興奮は、一生忘れないし、この幸運に心から感謝の気持ちでいっぱいになった。こちらから伺うとお目通りはかなわず、一生懸命仕事していたら、このような、まさに千載一遇の偶然に。なんとも不思議な話であるが、同時に、自身のまだやらなければならないことがあるのだと確信した。新たな天皇のもと、令和の時代は、平成と同じようか、それ以上になるよう、日本のために尽くしていく。そんな思いで、この歴史的瞬間を過ごしたい。
今回のご退位により、もう公務へは出られないとのこと。人々の前にお姿を見せられることはないのかもしれない。これまで気を張られていたお二方だから、緊張感が解けて、急に体調など崩されないよう心から祈ってやまない。まだまだお元気でいらしてほしい。
株式会社Kitamura Japan
北村圭介
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北村 圭介
株式会社キタムラジャパン
代表取締役
大正12年創業の枕専門メーカー「枕のキタムラ」4代目。曾祖父から伝わる経験やノウハウを活かし、眠りに対するキタムラのエスプリを枕にしています。枕屋4代目のブログ「まくろぐ」では、枕のことがメインですが、睡眠やモノづくり、マーケティングなど独自の想うことを書きます。