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石巻・女川へ行ってきました。
仲間と共に被災した土地へ行きました。その報告をさせていただきます。
是非、ご一読いただきたいと思います。
名古屋から12時間以上バスを走らせる。高速道路はなんの支障もなく走ることができました。 Googleのマップによれば、報道で聞かれた津波によって飲み込まれた町のそばを通るが、 山間を抜ける風景はどこの日本の野山と変わりません。そのまま石巻にある石巻市立住吉幼稚園へと向かった。
ここでは100名ほどの園児がいるのだが、震災以来、それが1・5倍になったという。
実は、もう一つ、湊幼稚園の子たちが一緒に学んでいるからだ。
実は湊幼稚園は津波によって、すべて流されてしまった。
だから、彼らは少し離れた住吉幼稚園まで、バスで通っているという。
我々の目的は、彼らにオモチャや楽器を届けにきたのです。
住吉幼稚園の楽器は数に限りがある。一緒に使うことができない。
そんな事実を聞いた仲間が声掛けをして募金を集めました。
小さな体育館にそれらを並べて、園児たちを迎える。
年少の子たちが、何度もお礼を言ってくれ、踊りも披露してくれました。
少しの戸惑いの表情も見られけれど、最後はみんな、はちきれる笑顔で。
大人が子どもにオモチャをあげる、そんな当たり前の行為だけど、
その姿をみて、私は涙をこらえるのが必死だった。
彼らの中には親御さんをなくされた子もいる。
同情するつもりではないけど、強く生きてほしいと心から思ったし、
自分もまだまだしなければならないことがあることに気づかされた。
それから女川の方へ出たが、それはもう凄まじい。民家も何キロに渡って、一階部分が流されて筒抜け状態。住んでいる気配はない。
町中を覆う砂ぼこりと、山積みにされたガレキに言葉がない。
しかし、そんな中で、復興へ向けて、動いている人たちもいる。
魚の卸売市場では、氷を精製する機械の設置が行われていました。 水揚げされた魚を冷やすことは漁業にとって最も大切なインフラのひとつだという。
身をよじりながらも、前へ進み始める力を垣間みることができました。
その後、地元の青年部の人たちと意見交換をしました。
当然彼らも被災者で、その時のことを生々しく語ってくれました。
・道路を逆送して助かった。
・2万円の防災バックはまったく役立たなかった。
・地震保険、火災保険加入の薦め。
・ネットワークづくり
・ドアのカギが開かなくなる。
・ラジオが最大の情報源(ソーラータイプが望ましい)
現地の方々は口々に言われるのは、
とにかく生きてください。
生きてさえいれば、あとのことは絶対に何とかなるから。
その言葉が心にしみました。
さらに、こうも付け加えました。
どんどん現地にも足を運んでいただいて、見ていってください。
それだけでいいです。そして、伝えてください、見てきたことを。
私など金銭的にも、人道的にもできることなど限られています。
自分たちの生活だって、決して楽にしているわけではありません。
そんな中で、できることと言えば、見てきたことをこうして伝えること。
そしてもうひとつ、
もし例えこのような震災が起こっても、対応できるように備えておく。
それを継続させていくことこそが、私にできることに他なりません。
まだ現地を見たことのない方、ぜひ時間を使って行かれてください。
私は、そうお願いしたいです。
最後に、こちらのサイトをご紹介します。
被災地の震災直後と半年後が比較できます。
こうして、復興は着実に進んでいます。
枕のキタムラ
北村圭介
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北村 圭介
株式会社キタムラジャパン
代表取締役
大正12年創業の枕専門メーカー「枕のキタムラ」4代目。曾祖父から伝わる経験やノウハウを活かし、眠りに対するキタムラのエスプリを枕にしています。枕屋4代目のブログ「まくろぐ」では、枕のことがメインですが、睡眠やモノづくり、マーケティングなど独自の想うことを書きます。