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下流か、上流、またはどちらかで生きる。
ここ1年、何か挑戦めいたことがとても多いように思う。
異国で、200名相手にセミナーを開催したり、
200mのバンジーを飛んだかと思えば、100kmを仲間と歩いたし、
海外での飛び込み営業というのもやってみた。
挑戦は、クセになるのかもしれない。
そんな中、今回の挑戦は、、、禊(みそぎ)だ。
禊→身をそぐ、ともいわれ、生活している中で自分自身に絡み付く
さまざまな邪念、利己、欲などのせいで、決断に迷いが生まれる。
そんな中、寒空の下、褌(ふんどし)一丁で、滝に打たれる。(↓ 筆者本人)
行わない者からしてみれば、修行というより愚行だと考えるのではないか。
それもそう。寒い中で、風邪でも引いたら、元も子もないだろう。
しかしながら、禊を終えた後というのは、信じられないほど温まる、、、というより、
身体の芯から指先に隅々に至るまで、沸々と燃えるように感じる。
驚いたことに、毎月行われている禊の会には、なんと100名近くの人が参加しているのだ。
話は変わるが、滝に打たれる前、宮司から講和をいただいた。
禊の目的として、多くを教わったが、やはり【初心にかえること】が一番の肝要である。
今あるポジションに、「安住」してはいけない。
常に、自分の立ち位置を把握し、目標に向かって挑戦をし続けなさい。
そして、ある経営者のエピソードを紹介していただいた。
御木本幸吉氏。
真珠の養殖に成功した発明家であり、ミキモトブランドを世界へ知らしめた伝道師でもある。
「何につけ一流の御木本流」と称されていた彼は、96歳という大往生だったが、
死ぬ間際までも、真珠王が質素な食事をしていたことに担当医は驚かされた。
そんな彼は、たとえば、列車で東京へ行くなら、今でいうグリーン車である一等に乗る。
と同時に、自由席にも乗ったのだそう。
前者は別に贅沢で行くのではなく、そこに乗車する上流階級の人たちと接するため。
彼らは、高級品である真珠を作る御木本氏にとっての、まさにターゲット顧客だ。
一方、彼は、三等席にも好んで乗車したという。
そこに乗り合わせるのは、当然、庶民で、とても真珠を買うような層ではない。
彼はそこでマジョリティである庶民の生活文化レベルを肌で感じたのだろうか。
それとも、自分がそのような境遇にいたことを忘れないための自戒の意味だったのだろうか。
いずれにしても、御木本氏は、指定席を選ぶことだけはしなかった。
なぜか、、、
「まったく変化がないから」なのだそう。
上流階級は、華やいだ世界で、真珠を身につけ、社交界でも行く。
下流階級は、名を挙げようと野心に燃えている。
しかし、中流階級では、変化がない、安住している、または安住を良しとする層で、
どちらともつかない、もしくは、時世によって右へ左へ蠢く。
どちらともつかない、もしくは、時世によって右へ左へ蠢く。
それを聞いて、私は決めた。
カプセルホテルに、泊まろう w
いくつになっても、いくら稼いでも、バストイレは共同の1泊3000円の宿に。それでも十分だ。
で、たまには、5万円以上するラグジュアリーホテルに連泊し、一流のサービスを受けたりする。
これは、決して、お金のことではない。
インターネットで何でも調べられるのはとても便利で、私も多いに活用している。
しかし、感覚だけは自分が体感しなければ決して分からない。
素っ裸になり、滝に打たれ、唱え続けるのは、「祓い給い 清め給え、六根清浄」
自身についたもの、既成概念であったり、世間体であったりを祓い、
そして清め、一人の人間として、6つの感覚を研ぎ澄ませる。それが禊。
中間にいたって、つまらない。安定に見えて、実はどっちつかずの不安定な宙ぶらりん。
それよりも、薄氷の上を、いつも全速力で疾走する、または、それができる、
そういう生活を、いつでもする。そんな、安住しない生き方を選択したい。自分を試したい。
そういう生活を、いつでもする。そんな、安住しない生き方を選択したい。自分を試したい。
我、ナンボのもんじゃい、と。
まくらのキタムラ
北村圭介
北村 圭介
株式会社キタムラジャパン
代表取締役
大正12年創業の枕専門メーカー「枕のキタムラ」4代目。曾祖父から伝わる経験やノウハウを活かし、眠りに対するキタムラのエスプリを枕にしています。枕屋4代目のブログ「まくろぐ」では、枕のことがメインですが、睡眠やモノづくり、マーケティングなど独自の想うことを書きます。